桃介夜話(51)

第四夜
金の性根のある話
(二二)

由来日本は慢性資本欠乏症の国である。
何の事業を経営するに方っても、常に悩む問題は、遺憾ながら資本の不手廻りである。
こんな資本欠乏の状態では、日本の経済建直しは、本筋に入り難く、まず以て資本の充実を図るが急務である。
資本の充実は、国民所得の増加による蓄積の増大にまつのであるが、それは今が今おいそれと何時でも必要に応じ間に合うものでないから、この欠を補い、資本需給の調節に資するが、即ち外資の招致である。
外資招致は、公債社債株券等に対する外資の一般的任意的投資まで進まなければ、本科と称し難いが、我邦に於て、普通行わるるのは、借款の一形態である。
外資自ら進んで、我が有価証券を買いつけて、自然に滑らかに流入して来るのではないが、借款亦一の権道として便利である。
便利をよいことにして、濫用するのは宜しくないが、借款による資本の運用が確実なる成算の基礎を有するならば、借款大に利用すべきである。
日本には今以ていかがわしい資本的攘夷党あり、外資借款に対し、動もすれば偏見的呪詛を放つ徒あるは、その迂愚憫むべきである。

前途頗る多事多忙なる、新進工業国としての、必要の資本が、自力一本で、充分に賄い得るものなら、議論はないのだが、日本の資本欠乏症は、いかに己惚れて見ても否認し得ず、自力の及び難いところは、所詮外資の力に頼る必要ありとして、外資は盲ら滅法に迷い込んで来はしない。
之を呼ぶには、呼ぶに足るだけの下地が出来ていなければならぬ。


省るに、日本はよくよく資本の蓄積に迂闊なる国である。その何よりの証拠は、貿易尻に現るる年々の輸入超過だ。
輸入超過必ずしも憂うべきことならず、余計に外国品を買うことも商売の一面であるが、日本のように、来る年も来る年も輸入超過の一方押で、輸出超過は例外中の例外と云うのでは困ったものでないか。
明治の初期から中期にかけて、即ち日露戦前の、幼稚産業期、産業開発準備期に於ける輸入超過は、事情止むを得ざりしとも観られようが、明治末期以後に於ける輸入超過の連続に就ては、左様に簡単に一本調子には片づけられない。


明治末期は、故桂公全盛期の舞台である。
桂公は稀に観る如才のない政治家であった。
政治と経済の関係について、夙に一見識を有していたのは、当時の粗枝大葉的政治家中、公は実に異彩であったが、いい加減に早合点した嫌があり、例の鰻会などを利用し、三井倶楽部に於ける例会には必ず出席して、得意のニコポンを応用したもので、こうした手法の奥妙を極め、巧に財界人を操縦して人気を博し、自家の声望を重からしめ、四度も内閣を組織することに成功したものである。
そんな事は何うでも可として、当時公が財界の人気を取り逃がさぬために、換言すれば、財界人の好感に投合するために、苦心惨憺した通貨膨脹政策の経営は、その後の日本経済界に大層な悪弊を貽した。
公の慣用手段として、外債を利用して、貿易尻決済用兼外債利子支払用の在外正貨をロンドンにもニューヨークにも置いたものだ。
パリにも少し許り置いたことがある。
この在外正貨は兌換銀行券常例を無視して、之を日本銀行の正貨準備に繰り入れ、兌換券膨脹の便に供し、二重の悪用を犯したものである。
在外正貨随って減すれば、随って外債を以て之を補い、いくら輸入超過が続いても、内地通貨は収縮せず、兌換制度の機能を麻痺せしめて、購買力の調節作用を不自然に阻止し、根柢のない病的景気を漫然と持続せしめ、浮薄な人心に阿って、鰻上りの物価騰貴を、財界繁栄此の通りと瞞著したなどは、ひどい事であった。こんな事の目的のために、外債又外債で、埋め食にした外資何億円、まったく勿体ない事をしたものだ。

桃介夜話(50)

第四夜
金の性根のある話
(二一)

曾て英国政府が、頗る気持のよい提案を、米国政府に突きつけたことがある。
若し米国政府に於て、その保有する戦時債券を捧引するならば、英国政府も亦連合国に対する保有戦時債権を放棄するに躊躇せぬと。
そうなれば、ドイツの賠償金だけ取るだけ取ると云う訳に行かんから、これも当然帳消と云うことになる。
一切御破算、新規建直しの、実にさっぱりした案である。
これは結局出来ない相談に終ったが、幸いに実現されてあったならば、世界の状勢は、よほど今日とは異ったものでなければならず、年々何億ドルと云う尻拭いの大きな金を、無理算段で遣ったり取ったりする世話は即座に打切になるのだが、しかしフランス一個の立場から考えて見ると、それは迷惑千万な事で無いとは言えない。
そんな事になった日には、とても財政は持ち切れず、内政的にどんなヒドイ事になっていたかも知れぬ。
やっぱり睹る通りの振合で、償金と、戦債と、取ったり遣ったりして居ればこそ、結局帳尻の都合が好いのである。


ここに又一の期待外のフランスの大儲がある。

由来フランスの金は米国の有価証券に沢山投資せられてあるが大戦勃発するや一層此の形勢を助長して莫大の資金が米国に輸送せられて公債社債株券を問わず目ぼしい有価証券を物色して、所謂安全投資を行ったものである。
これはまさしく外国投資の形態をとった資本の亡命である。
国家存亡の危機に方って、忠誠を裏切る資本家の態度卑劣極まると非難して見ても、こればかりは何うにもならぬ。
金の脱出は人によって行われるが人の意向がそういう風に動いて来ると云うのは、金が人を動かして脱出の機をつくるのである。

こうした金の特性を説明する興味ある話柄がある。
フランス第二帝国の創設者ナポレオン三世帝は非常に派手好みな贅沢者で、驚くばかりの豪奢な宮廷生活を営み、沢山の財宝と多大の現金を所有して居った。
然も其現金の大部分は英国の銀行に預け入れたものである。
英国は当の敵国である。
戦争は敵の糧に頼るを最も有利の条件とするのに、わざわざ敵国の銀行に所有金を預け入れると云うのは経済に非妥協的な戦闘意識を全然背馳する、不可解の心術、自己を裏切る行動である。
所有金の安全なる保管を期待したものなら、ナポレオン三世に取ってパリの天は平静に澄み渡りロンドンの地は不穏に揺いていなければならぬ。
ただしかし、金は事の真実を知っていたのだ。
ロンドンの安全に向って金の意が動いていた為めにナポレオン三世の威力を以てしても金はフランスに帰るとは云わない。
何人も金の霊能を馬鹿にしちゃいけない。

前段の亡命資本は大そうな稼ぎをした。
米国の戦時景気で、投資物件の大そうな値上り益を見た上に、フランスを平価で出て行ったものが、還る時には切下フラン相場で五倍の儲けをしているのだ。
即ちこうしたうまい機会に、うまい割合の利を乗せて、莫大の金が還って来たのである。
フランスの金はだぶつくのは当然だ。


千九百二十九年末現在、フランスの金保有高は、英貨換算にして三億二千六百万ポンド、最近に於ては四億二千万ポンド、又復増加している。
此れ以上の金吸収は遠慮致しましょうと、英国に諒解を与えているとか、大層な格式になったものだ。
此のほかに在外正貨二百億フランあるそうだが、それを別にしても、仏国の金保有高は、世界の準備金保有高の二割に当り米国の保有率四割とならんで、二国だけで六割を握っている勘定である。
米国は特別に有り余り過ぎるので、中央銀行の準備金も余分のとこまで積んでいるが、制規の三割三分準備にして置けば、又復眠り金を製造し、何の役もしない昏睡金の合計が、日本貨にして三十余億円に上ることになるそうだ。
米と云い、仏と云い、金は寄る所には寄るものだ。

貸したくて貸しきれない国もあり、借りたくて借りきれない国もらい、さまざまである。

仏本行集経6

仏本行集経

成無上道品第三十三

釈迦が悟った内容を記しています。

それは、「無明の滅」です。

「無明によるが故に、諸行あるを知る」

「無明なきをもっての故に、諸行無く、無明を滅するをもっての故に、諸行滅す」

それを知った釈迦は、経典解説者によって、
「婆伽婆(ばかば)、すなわち知見を生じて、阿耨多羅 三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を成じたまふ」
しかして、偈ありて説く

「この夜
四分の三、すでに過ぎて、
余の後の一分に、
明将に現ぜんとす。

衆類の、行と不と、
皆、未だ動かず、
この時、
大聖無上尊、

衆苦、滅しおわりて、
菩提を得たまひ。

すなわち、
世間の、
一切智と名づく。」


次の、
昔与魔競品第三十四で

手を地面に指して、魔を降して勝利を宣言します。

人の言うこととか、頭で考えることは、魔に引っ張られる。
知識や幻を降し、大地に指をさして、大地に結びついてこそ、正しいと悟ります。


さらに、
二商奉食品品第三十五では、

無明の滅には、「三帰五戒」の約束を交わすことを説きます。
この、「三帰五戒」を受けると、あら不思議、
どんな人でも、言うことを聞くではありませんか。

二人の商人が来ました。

食べ物をちょうだいと言うと、
いやだという。
これは当然ですよね。

それが、過去の功徳と来世の救いを軸線に
「三帰五戒」の選ばれた「「天身を成ず」と約束された人である、「優婆塞(うばそく)」と呼ばれます。
「知足寂定」の「布施供養」を功徳の徳積みと奨励されます。

「いやだ」が、「あげられてありがたい」と自発的上納に変わります。

その背後には、あなたは
徳と因縁を知らないという無明から、
仏にめぐり合い、無明を滅し
成仏という智恵を得ることができました。


食べ物のお礼に、
釈迦は、髪の毛と爪を与えます。

すると商人は、
なんで捨てるものをもらってうれしいもんかとおこります。
ぜんぜんありがたがりません。当然です。


そこへ、釈迦は、
「昔々、ありがたい仏がいて、髪と爪をもらったら、そしたら煩悩を尽くして涅槃に至ったと、過去のファンタジーを創造して、話聞かせてやります。どうして、これにその力がないと言えようか」
とたんに、二人の商人は、その髪や爪をありがたがります。

そうやって得た食べ物ですが、釈迦は、腹痛を起こします。
でも、その腹痛さえも、天の神々が守護して、直してくれました。
だから、釈迦の言っていることは、うそでも正しいんですよ。
こうこうわけです。


この「無明」を「我」と説明しています。
すなわち、「無明の滅」とは「我を滅する」

こうやって、「無明の滅」は、
えびでタイを釣る、人々の脳内占領の扉となります。

桃介夜話(49)

第四夜
金の性根のある話
(二〇)

米国のほかに、もう一箇国の、金の置場に困っているのはフランスで、金持も、貧乏人も、国中のあらゆる階級人の全数が、きりきり嵐舞した時節もあったが、何年もたたぬ今日、貧乏国と同席お断りの、とりすました不人情な顔つきは羨ましいことだ。
ボアンカレが思い切った変身の応急対策が善かったのだな。
こうなると、むだ飯くいの政治家も、捨てたものでない。
大きな破綻だらけ欠陥だらけの財政に兔も角も括りをつけ、フランの平価を切りさげて、為替相場の乱調子を防止することを得たのである。
英貨一ポンドに対する百二十五フランは、平価の五分の一、可なり辛らい見切物だが、紙屑相場まで持って行かれる一大危機を済ったもので、謂ゆる死中の活策として、平価切下は充分の効果を奏した。
かかる時際の平価切下は、やむを得ざる□策にして、而して救国の大策である。此の節日本でぽつぽつ耳にする円価切下論策とは、成立の由来も事情も違うのである。
これに依ってフランスは、止め度のない金の海外流出をくいともめたが、乍併、その後の金の大流入に対し、それが、積極的に、どれだけの作用をなしているかに就ては、私は一部の観察者の見解をただ其のままに鵜呑にする訳には行かない。


フランスの受取勘定の最大なものは、何と云っても、ドイツ賠償金の受入である。
ドーズ案に拠る対連合国ドイツ賠償金は、年度により金額に差異あれど、兔にかく二十億を上下する金貨マルクの、最大の分配額が、年々フランスの国庫に入るのだから、大したものだ。勿論フランスは莫大な戦費を使い枯らしているが、それは何遍数えて見ても何のたそくにもならない死んでしまった金で、新規に受入れる賠償金は、新規に有用の働きをする活きた金である。
此の関係に於て、ドイツ賠償金の受入は、受入れただけが其の儘にフランスの丸儲けである。
填補とは異った含蓄の、一種の資本蓄積として役立っている。

戦時債務の米債は、うんと負けてもらってあるし、多少は還してもあるし、昨年六月末現在では、三十八億ドルに減っている。
これをまるまる還すとしても、それは一世代以上の永い歳月間の分割払である。
同英債の方は、別に英国政府が厳しい催促もせぬようでないか。
出す方は何うにでも加減が出来そうであり、入る方は厳重にきちんきちんと入ることの決定になっている。
喉笛を締めあげられるようなドイツ側の悲鳴は、連合国共同で聞くべきもので、ひとりフランスのせいじゃない。
復興地方の経費は莫大でも、要するに国内の融通であり、地方の潤いにこそなれ、金貨フランが隊列をつくって国外へ脱奔し去る訳ではない。
どうでもフランスは金の残るような都合になっている。


こうした際の何よりの強味は、華やかな名のフランスが、地味な農業経済の国であることだ。
リヨンの織物は世界の粋でも、むしろフランスはボルドーの葡萄酒の国である。
美術工芸品の見るべきはあれど、フランスは到底工業の国でない。
工業国としては、列後のお供格以上に出でず、世界的不景気の工業的打撃に就ては、フランスの被る影響は存外に厳しいものでない。
不景気の農産的打撃は、小麦を第一とし、棉花砂糖等々、何も彼も良くないが、フランスは小麦の輸入国であり、棉花の国でもないから、打撃はおつきあいの側杖程度のものである。
概観して、フランスは不景気の打撃に就て、最も影響の軽微なる国の随一である。
損と元直で建つ蔵もあり、世界への義理で、不景気そうにしていても、フランスの保有金は増すばかりだ。


世界的に有名な、お洒落と、贅沢と、それからと、そんなのはパリと云う特別区域の情景の一面である。
一般のフランス国民は、農業経済国のつねとして、勤倹貯蓄の伝統的遵奉者である。
勘定のこまかい利息取である。一時に大きく取り込む放れ芸は知らず、蓄積を空散せず、地味にぽつぽつため増して行く流儀の、驚くべき塵山主義の実行者である。
かくて英国に亜いでの、対外大投資国であったことが、戦後の今日、大層な利益となって居る。

こうした事情の下に於て、フランスの金保有政策は、最も実効的であり得るのである。

桃介夜話(48)

第四夜
金の性根のある話
(十九)


例えば高層建築であるが、今度の世界一は、七十何階とかの、千百何フートとか云う、とても素晴らしいものだそうである。
地上の人間の利用物として、そうした図抜けた天摩楼の、適当不適当は別問題として、これらの築造については、大丈夫危険がないと云う極限まで、科学的に究明し尽して居る。
何千年かの将来に於て、上古のバビロンの遺跡の如くに、索漠荒涼の状景を呈するに至るかも知れないが、そこまでは考えなくても宜いであろう。
一建築に何千万ドル何億万ドルを費そうとも、それは玉楼の奢りでなく、どこまでも実用のオッフィス・ビルデングである。
鉄道の延長も世界一だが何百哩無人の荒野を汽車が駛っても、どこかで勘定が引合っている。
賃銀俸給に就ても、世界中のどの国も比較にならない高額を支払って、而して帳尻残高が立派に出合うようになっている。
万年景気のつけ方は、一寸遣り過ぎたがこの調子の乗り切る処は、所謂一得一失で、通計して一得の方が優位を占めて、米国は発展して来たのである。計画の齟齬は時に巳むを得ず、なにも米国の場合に限った事でない。
社会事情は、何程も議論すべき点あれど、他の汚い国々に比して、はるかに淡泊なものだ。
別して金の取扱方は几帳面なようである。
米国人は贅沢過ぎると云われるが、幾分かこうした傾向はあっても、多く取って、多く散ずるは、これ勢である。生活の向上を認めてよろしい。


一万ドルを一万ドルにつかうならば、よしんばそれが贅沢である場合としても、むだとは一寸異った含蓄がある。
百ドルを五十ドルにして潰すのを、金に対する冒涜として、金は非常に嫌悪する。
日本人は、けちけちしていて、それで冗だ費いが多く、大掴みのようでも、米国人は、締まる処は締まっている。
金に好かれ嫌われる一面の理由は此にもあるのだ。


然らば米国は、どんな振合に金を抱き込んでいるかと見るに、現在高は時々に上下あり一定しないが、連邦準備銀行及び国庫の金保有高は、概算四十億ドル程度と見て大差なく、準備銀行の金準備高は、昨年十月下旬以来、三十億ドルを一寸出ているから、差引約十億ドルと云うものは、ラモンド氏の謂う所の何の役にも立っていない居眠り金のストックである。
これは一ドルの利分をも稼ぎ出さず当分物件化している処の正貨並に金地金である。
然るに、米国は一方に於て、例の外資の米国内に於ける投資並に預金に対して、一昨千九百二十九年度には、大約四億一千四百万ドルの利分を支払っている。
戦時債権二百六十億ドルの同年度間の利得十億ドル弱、その半分近くは差引を余儀なくされているのである。
その後とて、大して変化あるでなし、出る金は活きて出て行くし、入る金はストックの死蔵物では、米国はやり切れない。


そんなら何うすれば可いか。
戦時債権棒引など云う説は、我々外国人ならば、容易に理論を組み立て得るが、米国人としては、之を言うの難く、是を行うは猶難い。
一体、棒引したら何が残るか。
外資債務約百五億ドル、政府保有の戦時債権約百十億ドル、恰度均衡が出合っている。
今卒然として、此分の戦時債権を棒引にしたら、外資債務に対する利払の見合勘定分がゼロになり、年額四億余万ドルの利払は、まるまるの出し損となる。米国としては、容易に棒引は行い難い。夫が出来なければ、或る程度の割引切捨ては何うであるか。
巳むを得なければ、この方は実現化の可能性無くもないが、これも一寸難色があるだろう。米政府保有戦時債権と云うのは、曩に伊国に対しては四分の一に、仏国には半減に、ベルギーには三分の一に、各減額し、かつ昨年六月末までに於て、二十三億九千万ドルの償還受入あり、残額百十六億四千万ドルとなったもので、その後は減っても知れたもの、この上の切り捨ては、米国としては、可なり痛い事でなければならぬ。

何より無事の方法は、ストックの居眠り金金額は無論のこと、思い切って、それ以上も、外国へ貸しつけることだ。
そうなれば、景気回復の促進策ともなるべく、米国は貸したくて仕ようがなし、借りたい国はウザウザあるが、そんな国へは、金の方で借りられて行きたがらず、ここ米国は悩ましいデレンマに陥込んでいるのだ。
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